小糸だより(夏休み号)

夏休み夏休みが始まります。
 1学期は新型インフルエンザの問題で神経を使いましたが、無事に終えることができました。
 明日から夏休み。子どもたちにとっては待ちに待った日でしょう。
 学校の勉強から解放されて、自由な時間を心待ちにしていると思います。夏休みになったら、あれもしたいこれもしたいと胸をふくらませています。保護者の方々も皆さんも経験があることと思いますが、そう思っているうちに夏休みは終わってしまいます。
 何か一つでも目標を持たせたい。大きな目標ではなく、身の丈にあったもの、そして、毎日(のように)続けられるものがいいです。実は続けるということが大変難しいのです。その気持ちを汲み取って励ましていただきたいと思います。
 

終業式の話(抄)「荘子」から 

井蛙(せいあ)はもって海を語るべからず
井の中の蛙(かわず)は、大海を知らない。だから、大海のことは語れない。
 古い井戸の中に住んでいる蛙が、東海に住んでいる大きな亀に話をしました。
「自分の住んでいる井戸はとてもいい。夏は自由に泳ぎ回り、疲れたら井戸の上で一休み。なんの苦労もなく、自分だけ自由気ままに暮らしている。その楽しみは、もう何ともたとえようがないくらいです。」
蛙の自慢話を聞いていた東海の亀は、
「おまえの住んでいるところはなんと狭く、暗いところなんだ。わたしの住んでいる海は、広くて明るくて、その深さといったら、大きな山を沈めてもそこには届かないよ。」
みなさんの毎日は、学校と家との行き帰りです
学校で学ぶことはほんの小さいことです。夏休みは、学校では学ぶことのできないことを学ぶのにいい機会です。家の手伝いをすることで、おうちの方の苦労も知ることができます。また、本などをたくさん読むことによって、知らない世界のことが分かるようになります。
 有意義な休みにしてください。
原典では、このような話となっています。
黄河の神である、河伯が初めて海へ行ったとき、海の大きさに大変驚いたところ、北海(今の渤海の神である若は、「井の中の蛙に海のことを話しても分からない。それは狭い世界の中で暮らしてきたからです。今あなたは自分の無知に気づいたのです。」
ります。
 」

小糸だより(7月号)

6月の朝会から
蝸牛(かぎゅう)角上の争い 荘子
梅雨の季節、この季節にちなんだ話をします。
昔、カタツムリの左の角の上に国を建てたものがいました。これを触(しょく)氏と言いました。また、そのカタツムリの右の上に国を建てたものがいました。それを蛮(ばん)氏と言いました。
 日本の国でたとえて言えば、源氏と平氏といってもよいでしょう。
 ある時、この両国が土地を争って戦争を始めました。触氏と蛮氏は、決死の覚悟で血みどろの戦いをし、その戦いは何年にも及びました。そして死者の数は数万にもなりました。
 
 宇宙の大きさは、とてつもなく大きなものです。そして、私たちが住んでいる宇宙も、現代科学をもってしてもその大きさを測ることはできないくらいの大きさです。
 こんな大きな宇宙から見れば、地球などは米粒ように小さいものです。そのちいさい米粒のなかに多くの国が存在します。その国の中に地方があり県がありそして市があります。
 その市の中に学校もあります。この学校というのは、地球と比べればたとえようもないくらい小さいものです。
 その小さな世界の中で、だれだれちゃんが悪口を言った、だれだれちゃんがぶった、などの争いごとがあります。
 ほんのささいなこと、小さいことで、争いになります。小さなことに不満を持たず、宇宙のような大きな気持ちで日々を過ごしてください。  

 蝸牛(カタツムリ)の額ほどの小さな土地を争うことの愚かしさを伝えています。大きな地球から見ればカタツムリの額の広さなど、取るに足らぬ小さな世界です。
 たいしたことではないという寛容な気持ち、おうような気持ちを現代人は忘れれているように思います。