2017年6月の朝会

おはようございます。今日は、高砂小学校の歌に

ついてお話しします。藤沢市立高砂小学校は、今

から53年前に藤沢市で15番目の小学校として、

辻堂小学校から分かれた形で開校しました。昭和

39年は、新幹線が開通し、東京オリンピックが行

われた年です。2020年の東京オリンピックに向けて、昔の映像を見る機会があったら、「この年に

高砂小学校はできたのだなあ」と思い出してくだ

さい。

この写真は高砂小学校ができる約10年前の様子で

す。中央に見える2本の松の場所に、このあと高

砂小学校ができるのです。江ノ島がはっきりと見

えています。ここはもともと辻堂海岸の砂丘でし

た。鎌倉時代から昭和20年の終戦まで、演習地と

して使われていました。今でも「鉄砲通り」とい

う通りの名前が残っています。


高砂小学校の歌は、当時の教頭先生「津田辰雄

氏」が作詞しました。

「東の海に朝あけて」

学校から海と朝日がよく見えたのでしょう。
「きらめく波よ相模灘」

この海は相模湾と言い、波も見えたのでしょう。
「理想は高く洋々と」

「洋々と」とは、水が限りなく広がる姿で、そこ

から「未来や理想」と一緒に使います。

「明るい希望に胸を張る」

終戦後に「希望を抱き」生きていく時代でした。
「ああ高砂かがやく学園」

朝日とともに本当に「輝いて」いたのでしょう。

本校の保護者「有海喜巳夫氏」(作曲家)が作曲

しその年の卒業式に合唱として発表されました。


 

校名は「浜見山小学校」や「富士見小学校」等の

応募が数多くあったそうです。しかし、「浜見

山」は地名的に辻堂小学校区であったこと、また

茅ヶ崎市の団地名が「浜見平」団地であったこと

また「富士見小」は長後地区の校名に富士見台小

学校が予定されていたので、学校敷地近くの地名

「高砂」に決定しました。


 

この写真は約20年前の校舎の様子です。現在の校

庭に校舎が建っていました。今の校舎は道路側に

建て直されたのです。