藤沢市教育史 史料編
史料編 第一巻(近世後期・明治期)
第一巻の構成
藤沢市教育史編さん室で収集した近世後期から明治期の史料群の中から、教育史的視点より重要と思われる事項444点を選んで登載したものです。
《筆子塚銘文》
藤沢市内16寺に残る享保年間から文政年間ごろの寺子屋師匠の筆子(教え子)達が建てた墓碑に刻まれた墓碑銘等を収録したものです。
《編年別文書史料》
近世後期から明治45年までの重要と思われる史料255点を編年別に収録したものです。
《神奈川県教育月誌》
「神奈川県教育月誌」は、県内の教育関係の情報を広く知らせるとともに、学事を奨励し、郡区からの問合わせに回答するなど、県の学務課が発行したもので、第1号は明治9年7月に発行、同12年12月まで続いたものです。
《神奈川県学事月報》
「神奈川県教育月誌」が明治13年1月から「神奈川県学事月報」と改称されたものです。(廃刊年は不明)
《巡回日誌》
「巡回日誌」を書いた平野貞は、学区取締でした。「巡回日誌」を作ることは、学区取締に課せられた任務でした。明治9年11月7日「学区取締事務章程」が神奈川でも定められ、その中に「巡回日誌」を作成することが義務付けられています。本巻に掲載した「巡回日誌」 は三分冊になっていたもので、明治10年分の「巡回日誌」を取り上げたものです。当時の藤沢市域が含まれていた第十八大区の教育事情をうかがい知ることができます。
《神奈川県教育会雑誌》
「神奈川県教育会雑誌」は、神奈川県教育会の機関誌です。
《横浜貿易新報》
明治23年2月1日「横浜貿易新聞」と題して東京で創刊されました。同年5月に横浜市に移りました。明治39年12月3日第20号から「横浜貿易新報」と改題されました。この新聞は実業新聞として発刊されましたが、実業関係だけではなく、一般記事を含めてひろく神奈川県内の記事を集めたことで知られています。
《行政事務報告書》
ここに収録した「事務報告書」は、明治25年から明治45年にかけての現藤沢市域内の旧町村の行政事務の内容を示す史料です。この報告書は、町村会での予算審議にあたって、町村長から町村会へ提出・報告されたもので、当時の地域の状況を表わす基本史料の一つです。
史料編 第二巻(高座・鎌倉郡の明治、大正期の郡達文書)
第二巻の構成
本巻は、現・藤沢市域に属する旧高座郡と旧鎌倉郡の郡長がその権限に基づいて発給した令達類と、折りにふれて管内に訓示した「訓示要録(演達)」を収録したものです。郡は1878(明治11)年公布の郡区町村編制法により成立し、従来の地域区画から行政区画となりました。1923(大正12)年郡制の廃止まで、郡には郡長が置かれ、郡役所が置かれ、郡長は県令の補助機関として、地方教育行政に関与する権限を持っていました。国及び県の教育方針は勿論、郡域内独自の教育方針も、郡長から出される令達をもってあらわれるのがしばしばでした。したがって、郡の令達類は地方教育の実態と地方教育行政を考察するのに欠かせない基本的史料です。本巻は、明治12年から大正15年までの史料1425点を収録しています。
史料編 第三巻(大正・昭和前期)
体操訓練をする子どもたち
第三巻の構成
大正期から、昭和前期(S.20.8.15)までの現藤沢市域の教育史料を、1.編年別文書史料 2.青年学校沿革誌 3.横浜貿易新報 4.行政事務報告書に分類して、734点を登載しています。
《編年別文書史料》
現・藤沢市域内の、大正期から昭和前期までの中学校・実科女学校・青年学校・青年会・戦時体制教育等に関する318点の史料を、編年別に登載しています。
《青年学校沿革誌史料》
戦前の藤沢町(市)に設置されていた4校の青年学校のうち、史料が現存する、1.藤沢青年学校 2.明治青年学校 3.藤沢市家政女学校の3校の沿革誌全文を登載しています。村岡青年学校や、私立青年学校の学則は編年別文書史料に登載しています。
《横浜貿易新報、神奈川県新聞、神奈川新聞、他紙》
大半の史料は横浜貿易新聞(S17年 神奈川新聞)からで、一部他紙(毎日新聞)から収録しました。当時の動向や教育的関心を知ることができます。
《行政事務報告書》
現藤沢市域内の旧町村の教育関係の行政事務報告書を登載しています。藤沢町(市)、川口村(片瀬町)、渋谷村、小出村、六会村、村岡村、御所見村の当時の地域の状況を表す基本史料の一つです。
史料編 第四巻(昭和後期)
墨塗り教科書「よみかた四」(昭和20年)
第四巻の構成
本巻は、「藤沢市教育史 史料編」(全7巻)の6巻目として刊行されたもので、1945年(昭和20年)の終戦から、戦後経済の復興・成長期へと進んだ1970年(昭和45年)までの、現・藤沢市域の教育に関係する史料400点が登載されている。
戦後の教育の動向を大きく左右した連合国軍指令関係文書をはじめ、新教育制度の発足と共に進められた、様々な教育改革の様子を知ることのできる、貴重な史料が数多く登載されている。
本書の構成は、
- 解説
- 編年別文書史料
- 編年別新聞記事史料
- 行政事務報告書
の四つの分類からなっている。
史料編 第五巻(耕餘塾関係)
小笠原東陽
第五巻の構成
本巻には、相模国高座郡羽鳥村(現・神奈川県藤沢市羽鳥)に創設された読書院(別称、羽鳥村郷学校)、および読書院を基盤として設立された耕餘塾、ならびに両塾の塾主を務めた小笠原東陽などの関係史料を収録しています。
- 解説「小笠原東陽と耕餘塾」 高野 修
- 一 耕餘塾の沿革 史料番号 1~ 13番
- 二 耕餘塾の維持費 14~ 42番
- 三 耕餘塾の教則及び教科
〈教則〉史料番号 43~54番
〈教科書〉 55~ 63番 - 四 耕餘塾の教員 64~105番
- 五 耕餘塾の塾生 106~135番
- 六 耕餘塾の同窓会 136~144番
耕餘塾門下生名簿解題 細井 守 - 七 小笠原東陽建碑 145~152番
- 八 小笠原東陽と塾生の著作 153番
耕餘集(第1~第6集) 154番
東陽遺稿(上・下)
『東陽遺稿』『耕餘集』目次
『東陽遺稿』『耕餘集』の解説 山本 邦夫 - 九 耕餘塾関係の新聞記事 155~161番
- 十 小笠原東陽研究資料 162~165番
史料編 第六巻(学校沿革史)
御所見小の印鑑
第六巻の構成
本巻には、明治時代から、昭和30年の町村合併により現在の藤沢市域が確定するまでに開設された公立小学校十三校、高等小学校一校の学校沿革誌を収録しています。学校沿革誌には、当該校の創立事情やその後の変遷、それぞれの時期における当該校の教育、授業料、教育費、校長・職員、校舎・校地、地域社会との関係など、当該校の時々の重要事項とその史的推移が克明に記述されています。したがって、学校沿革史は、それぞれの時代の地域や学校の教育実態を知る上で欠かすことのできない大変貴重な基本史料です。
沿革誌
- (1)藤沢小学校
- (2)明治小学校、尋常高等明治小学校、明治尋常小学校、日進小学校、羽鳥学校之部、辻堂学校之部、日進学校之部、尋常大庭小学校
- (3)鵠沼小学校
- (4)本町小学校
- (5)村岡小学校
- (6)六会小学校
- (7)辻堂小学校
- (8)鵠洋小学校
- (9)片瀬小学校
- (10)大道小学校
- (11)秋葉台小学校
- (12)御所見小学校
- (13)長後小学校
- (14)六会小学校
- (15)藤沢高等小学校
史料編 別巻(沿革・郷土誌、統計・年表)
“六会に落ちた隕石は、大正15年4月20日亀井野中央部八王子街道より西へ百米ばかり入込みし畠へ日中児童が凧上げせるその凧の尾の間をかすめて白光を放ちつゝ桑園中に落ちた。”と本書の「特別史料」に記述されている。小学校5校の「郷土誌」が原典に忠実に復刻されており昭和初期までの自然現象や風俗習慣等、数多くの興味あることがらに出会うことができる。
今回刊行した別巻は、藤沢市の教育にとって基本情報としての重要な史料であり、次の四領域に分けて登載した。なお、統計・年表については活用の便を考慮してA4判とした。
1.沿革
藤沢市内の小学校から大学まで、公立・私立を問わず全ての学校の創設から今日に至るまでの経緯や教育事象をつぶさに収録した。教育委員会をはじめとし、学校関係施設や各教育関係団体についても取り上げた。なお、学校教育のみならず社会教育に関わる施設や団体についても沿革一覧を掲載した。
2.特別史料
大正期及び昭和初期に小学校で編さんされた「郷土誌」・「震災誌」を原典に忠実に復刻掲載したもの。藤沢小学校他4校に残されている。
3.教育統計
主として学校の児童・生徒・教員数とその推移、及び社会教育関係施設の数とその利用状況を統計化して収録したもの。
4.教育史年表
1868(明治元)年以降藤沢市域の教育に関する重要事項を年表化して示した。